昭和44年11月02日  朝の御理解



 御理解 第65節
 「日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。」

  今日いよいよ明日の結婚式のために私共一行、今朝から出発さして頂くわけでございますが、昨夜、遅うまで、まあ色々準備でおおわらわでございましたが、その中でまあ秋永先生と二人で話したことです、これもうこれから先合楽の事についてはもうどのような風におかげが展開していくか、想像もつかない、予測を許さない。ですから、問題は勿論有り難いことになっていくということ。
 まあ結論すると、合楽の信心を、現代、お道の信心の中に、どうでも認めさせようとする、神様の働きとしか思われないと言うて、秋永先生が言うておられましたが、それは、そうどこじゃないですもんね。だから結局、それぞれの、生活の現場というか、ひとつ、その、一こま一こまをいかに大事にして、行かなければならないかと、いうことを痛感するだけですね、と言うて話したことです。
 どのような神様の働きがですよ、言わば、またはおかげが計画されておりましても、その計画が崩れて、神様の願いと言うか計画が崩れていくようなことでは、つまりませんからね、神様もがっかり、こちらも勿論のことでございますから、本当に神様の願いがいよいよ成就することのために、いよいよお繰り合わせを頂かなければならん、いわゆるここに天赦日という言葉が使ってございますが。
 本当にこの神様に許されてのおかげでなからなければならないということですね、それには勿論、「日柄方位を見るにおよばん」とおっしゃる、いわゆる人間的な、考え方では、物事を判断してはならないと、いうような風に私は今日感じます。どうぞ明日の、十時に、金光真正先生の御祭主のもとに式が行われるはずでございますから、どうぞ皆さんお祈りぞえをよろしくお願いもうします。ならここで御無礼いたします。